ご挨拶代わり「佐々木の思い出話」

1 流通の世界へ

大学卒業(昭和43年・1968年)後、当時スーッと出て来て、パーッと消えるといわれた、いわゆるスーパーに入社
・・・・それが壽屋である。(当時雨後の竹の子のようにスーパーが出来ていた。壽屋は衣料主体)

ダイエーが主婦の店ダイエーといわれ、ジャスコがまだシロヤ、岡田屋と言われた時代、
学生のころ大阪吹田で、
Gパンを買った事を覚えている。

大学のゼミの教授から良いところに入社したな、レッドかロイヤル?を送ってくれと
いわれた事を記憶している。・・・・・サントリーの壽屋の勘違い。

先生、スーパーですと返答したら、キツイダロウガ、頑張れ!!と大いに励まされる。

ホント・・・・相当激務だった。毎晩12時まで整理など。休み無し。有ったかも知れないが、
入社して即、部門長(高卒女性が5人くらい部下)なら責任上、休めない。

寮に帰ると、メシが先に帰った寮生に食いつくされて食えないこともザラ。勢い外食がほとんどだった。
風呂も冷え切っていた。洗濯も見かねて社長の家族がしてくれたこともある。
衣料品屋なので、買えば済むその分売上も上がる。

朝は苦手で、遅刻気味。社長さんは朝が早いがどうしようもない。
やんわり一言。商売は朝が勝負(苦言?励まし?)と言われる。

でも8ヶ月で店長・・・・俺でいいのかと思った。(辞令は次長だが、上はいない)
社長がチョク、チョク店廻りに来て、イロイロ言って帰る。言われたとおりに、くそ真面目にやる。
すると大いに売れる。良く売れる。相当面白い。

衣料品を売り場に出せば、売れた。・・・今では考えられない。

夜行列車に乗って、広島の山西衣料なんかに1年生なのに仕入れに行き、
ソロバン(やっとはじける6級・・・・ちなみに電卓など無い)片手に儲けの計算しながら、また夜行で帰る。

(列車が宿泊施設。寝台列車でなく、あくまで普通列車です。)持てる限り持って帰る。
その日に、タイムサービスとか言って売る。これがまた売れる。
相当な自信になる。先輩の女性やパートさんに褒められる。

店長が褒められて喜んでどうする!!逆ではないか・・・でも嬉しかった。

山西衣料は現在のイズミの関連会社、広島に食料品スーパーがあったことを覚えている。

 

ここまで読んでいただいてありがとうございます。続きはいつかまた・・・

 

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