コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.051 * 2004/07/31


「お喋りやめて」 桃井かおり

70年代にもっとも輝いていた女優のひとりであった桃井かおりは1977年頃
から歌手としての活動でもひそかな支持を集めつつありました。
私も最初から知っていたわけではなく何年か遅れて旧友から京都の酒場で
表題曲を聴かされて目から鱗でした。その後フィリップスからの数枚のアルバムを
買いましたが、来生たかお荒木一郎などから提供されたオリジナル曲が
なかなか良くてお気に入りになりました。ただしCBSソニーに移ってからの
「ねじれたハートで」のヒットや各種カバーアルバムに関しては前期よりも
魅力に乏しい感は否めません。「このままちょっとお喋りやめて」聴いてみませんか。


VOL.050 * 2004/07/30


「バードランドの子守唄」 
サラ・ヴォーン

学生時代のレコード購入のほとんどはいわゆる廉価盤。当時は一種の
ブームで、ジャズに限らず過去のヒット作・佳作が次々と
1000円〜1500円でシリーズ復刻発売される有難い時代でした。
マーキュリーレーベルの1100円シリーズで買えた表題曲のアルバムは
クリフォード・ブラウンのトランペットと掛け合いの歴史的名盤です。
ビ・バップの殿堂ともいえるジャズクラブ「バードランド」を象徴する
ジョージ・シアリング作の表題曲は歌詞を暗記するほど聴き込みました。
クリス・コナーの歌唱であらためて感銘したのはその後はたちを過ぎてからです。


 

VOL.049 * 2004/07/29


「ケンタウロスの子守唄」 山下洋輔

70年代なかば浅川マキの歌でこの曲に出会って以来、電波媒体で耳にすることもない
小品といえる曲のため、検索もあまり期待せずにしたのですが・・。
私も知らなかったこの曲の出自、大阪万博がらみの企画「21世紀のこどもの歌」が
復刻されていました。作詞の筒井康隆と作曲の山下洋輔が出合って間もない頃
この企画があったようです。ケンタウロス座は南十字星の傍にあり、主星の距離が
地球に近いためSFによく登場する星です。浅川マキの歌で聞くと、南半球の
とある地で幸薄い女が子どもをあやしながらけだるく歌う風情が漂い、
ガーシュインの名曲「サマータイム」に匹敵する名作ではないかと思ったりもします。


 

VOL.048 * 2004/07/28


「アルフィー」 ソニー・ロリンズ

テナーサックスの巨人ソニー・ロリンズが映画アルフィーの音楽を演奏したのは
1966年ですから、欧州映画にモダンジャズが盛んに使われた時期からは
少し後にずれます。ルイス・ギルバート監督のこの作品を見ていないので
検索した資料から書くしかないのですが、バート・バカラック作曲で
ディオンヌ・ワーウィックで有名な「What's It All About...」で始まる名曲もやはり
この映画の音楽(歌はシェール)なのです。調べてみると実に英米の多様な
才能が結集された映画だということがわかります。ロリンズはこのアルフィーのテーマ
を後年もよく演奏し、増尾好秋のギターとの掛け合いも印象的です。


 

VOL.047 * 2004/07/27


「秋でもないのに」 本田路津子

昨日ふれたニッポン放送「バイタリス・フォークビレッジ」。実は吉田拓郎
司会した時期もあったようですがあまり覚えていません。私の印象に強い佐良直美の時代に
公募のオリジナルソングとして日本フォークのスタンダードの1曲といえる表題曲も
生まれた筈です。今回検索してみてこの曲の出自に関する記載が見つからなかったため
万一間違いでしたらゴメンナサイ。当初は男性の歌を想定したのでしょうか
「ふるさともー、ない私だけど」の部分が「ないボクだけど」となっていたと記憶しています。
本田路津子によるレコード化と同時にボクが私に変わっています。ニッポン放送、CBSソニー
というメジャーなバックを負った彼女ですが夏の野外フェスにも出たりしていました。


 

VOL.046 * 2004/07/26


「白い船白い鳥」 山本直純

1970年前後に東京有楽町発のニッポン放送の電波は1310キロサイクル(当時の呼称)
で、九州の東海岸では夜の9〜10時頃から無理なく聴ける電波状態になりました。
10時台のお気に入りが「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」11時台では
「バイタリス・フォークビレッジ」でしたが表題曲は前者のテーマ曲です。
後者のテーマは佐良直美の「友よ歌おう…」で始まるフォークのシングアロングスタイル
の曲でこれも捨てがたいのですが、資料がほとんど残っていません。それに較べて
白い船白い鳥はのちにやまがたすみこによって歌入りレコード化されたためいくらか
検索可能です。高岡寮一郎アナウンサー司会の好プログラムでした。



「いいじゃないの幸せならば」佐良直美
「風に吹かれて行こう」やまがたすみこシングル盤画像
「風に吹かれて行こう」やまがたすみこ
 

VOL.045 * 2004/07/25


007は二度死ぬ」 ナンシー・シナトラ

映画007シリーズに物心ついたのは「サンダーボール作戦」くらいから。
小学館の雑誌「ボーイズライフ」にさいとうたかをの劇画が連載されたり、
同じスパイ物の「0011ナポレオン・ソロ」がTV放映されていた時代です。
「二度死ぬ」は舞台が日本の九州ということで大隈半島や霧島でのロケの
話題も刻々と伝えられていました。映画が封切られタイトルの唐傘風画像の
バックにこの曲が流れると子供心に興奮しました。小遣いを貯めて
当時お買い得だった4曲入り17cmLPレコードを購入し、
「にくい貴方」など彼女の以前のヒットにも触れることになりました。


 

VOL.044 * 2004/07/24


「今日も夢見る」 榊原ルミ

「あの日の海は二人のために輝き…」ではじまるこの曲は
カレッジフォーク楽譜集などには結構、収録されています。そして
演奏者のクレジットはたいてい万理村れいとザ・タイムセラーズとなっています。
私は中学時代に「フレッシュイン東芝ヤングヤングヤング」というラジオ番組で、
前田武彦の相手役だった榊原ルミが歌って番組のイメージソング化した
ことによりこの曲を覚えました。それで要するに彼女のファンとなったのです。
家にあった雑誌の洋服モデルの中から彼女を捜したり、父上が大学教授ということで
学校の印刷物に榊原教授の名を見つけて喜んだりしていました。


 

VOL.043 * 2004/07/23


「ライトアズアフェザー」 チック・コリア

 ジャズピアニスト チック・コリアは70年代はじめ、リターントゥフォーエバーという
意味深なユニット名で「ラ・フィエスタ」「スペイン」など名曲を次々に発表します。
表題曲は2作目のアルバムのタイトルにもなった文字通り軽快なナンバーです。
フローラ・プリムの女声ボーカルを時に楽器のように配し、ラテンの味付けも
加えつつひたすら洗練された雰囲気に聴こえるのは、センスの良い
ジャケットデザインも寄与しているのかも知れません。この2作のあと
チック・コリアの路線はマイルスサウンド方面へ舵を切りましたので、
しばらく後にはキース・ジャレットへ乗り換えたファンも多くいました。


 

VOL.042 * 2004/07/22


「愛を知りし時」 宮前ユキ

ポリドールから出た同名タイトルのファーストアルバムを大学時代に買い
彼女の存在を知りました。ウエスタンシャツにテンガロンハット姿の
ジャケット写真もチャーミングでしたが、なにより粒ぞろいのオリジナル曲を
抜群の歌唱力で表現しており魅せられました。高橋真梨子に似たところも
ありますが、カントリーのベースがさらに加わっているため厚みが増しています。
残念ながらこのアルバムはCD化された様子もなく入手困難なようです。
実は今回検索してみて彼女が熊本出身なことを初めて知りました。
現在もライブハウス活動中のようでさらなるご活躍を期待いたします。



「愛を知りし時」宮前ユキLP画像
「愛を知りし時」宮前ユキLP

VOL.041 * 2004/07/21


「十番街の殺人」 ザ・ベンチャーズ

地方都市にも押し寄せてきた”エレキブーム”の波に触れたのは、
小学校高学年の頃でした。もちろん本物のエレキは見たことさえなく
掃除の時間にホーキを横にかかえて加山雄三の曲を歌ったりしてました。
ただ、ベンチャーズについては大衆の受け狙い的論評にも影響されたのでしょうか
ビートルズはもちろんスプートニクスなどよりも遠ざけていた気もします。
でも友達がレコードを持っていた十番街の殺人を聴いて、ひそかに
いいメロディーだなと感心していました。原曲はミュージカルナンバーらしいですが、
ベンチャーズ編曲は灼熱の陽に照らされた海岸をイメージさせました。


 

VOL.040 * 2004/07/20


こころのシャンソン」 カメカメ合唱団

AMラジオキー局ニッポン放送の現社長亀淵昭信氏は70年代同局の
オールナイトニッポン土曜深夜担当パーソナリティとして人気を博しました。
DJのノリの延長として自らも音楽活動をおこない、火曜担当斉藤安弘氏と
デュエットしたシングル盤「水虫の唄」、「僕を呼ぶ故郷」などフォークデュオ カメ&アンコー
として出したレコードがありました。一方、当時珍しいマルチトラックレコーディングによる
1人コーラスでカメカメ合唱団を名乗り、レスリー・ゴーアの替え歌「今日は哲っちゃん誕生日」、
そして赤塚不二夫もーれつア太郎」に材を採った表題曲をリリースしました。
漫画の名脇役ココロの親分が加藤和彦のメロディーをしんみりと歌い上げます。


 

VOL.039 * 2004/07/19


「マック・エビル」 ブラッド,スウェット&ティアーズ

ブラスバンドならぬブラスロックが脚光をあびた70年代はじめ。
日本ではシカゴの「25or6to4 邦題 :長い夜」という曲がいとぐちでした。
次に同じCBSソニーから表題曲がプッシュされスマッシュヒットになります。
高度成長を上り詰めようかという時代にマッチした派手さと危うさが同居した
ブラスロックの音色は幅広く支持され、チェイス「黒い炎」の大ヒットへとつながります。
ブラッド・スエット&ティアーズはこの他にも「スピニングホイール」、
「ユーブメイドミーソーベリーハピー」など全米ヒット多数。
ロックミュージックに近いシカゴに較べるとジャズに近い位置に在ったグループです。


 

VOL.038 * 2004/07/18


「あ せ」 ニューサディスティックピンク

このグループ(略称NSP)は地方都市で根強い支持を受けていました。
その分、中央のメディアや評論家が真正面から評価することをためらわせる
雰囲気があったかも知れません。私の居た九州のローカルFM番組でも、
小椋佳「さらば青春」と並ぶリクエスト集中ナンバーが
NSPの「夕暮れ時はさびしそう」や、この曲でした。
「全くひと気のない道 しらけた太陽が出て・・」で始まる歌詞をたどっても
70年代の地方の青年達の叫び声が分相応なボリュームで
淡々と語られているような気がします。


 

VOL.037 * 2004/07/17


「夜明けのヒッチハイク」 バニティ・フェア

少年から青年に脱皮しようかという時期に国内だけでなく地球の裏側の同時代音楽が
次々に聴けたということは、とても幸運でした。1970年のこの小ヒットも、
時代を超えて価値のある曲とまでは言えないのですが若者と音楽の活き活きとした
コンタクトの1ページではあるのです。歌っているのはイギリスのポップロックグループ
ですが、この他のヒット曲はクリフ・リチャードも歌って印象はそっちの方が強い
「しあわせの朝」ぐらいのもんです。でも地方都市の中学生にとっては充分に
あこがれを刺激してくれる、生活にフィットしたBGMだったのです。


 

VOL.036 * 2004/07/16


「長崎の夜はむらさき」 瀬川瑛子

1970年に瀬川はこの曲で世に出ました。ラジオ、有線中心にじわじわと
人気が上がりましたがTVではさほど見た記憶はありません。
藤山一郎「長崎の鐘」を思わせる盛り上がりのフレーズが子供心に
印象的でした。決して演歌ではなく純歌謡曲とでも呼びたいジャンルで、
ちあきなおみ伊東ゆかりいしだあゆみ等の顔ぶれが当時全盛でした。
瀬川はこのスマッシュヒットの後続が無く、しばらく名前を聞かない
期間が長く続きます。そして1987年突如「命くれない」で大ブレイクします。


 

VOL.035 * 2004/07/15


「明日も愛して」 キャロル・キング

70年代にキャロル・キング自身の歌で私は好きになったのですが
最初のヒットは1961年、セプターレコードの若い女性グループ シレルズ
に提供したものです。この曲の場合、キャロルは作詞のみで作曲はダンナさん
によるものでした。若くして才能を開花させ、ニール・セダカに恋歌を
歌われた程の彼女。やがてシンガーソングライターの草分けとして
明日どころか何年も何十年も愛され続ける存在になっていきます。
それにしてもこの曲、起承転結の楽曲構造で韻の踏み方もきちんとして、
それでなお新鮮な雰囲気を失わないというところがスゴイ。


 

VOL.034 * 2004/07/14


「カトリーヌ」 ダニエル・ビダル

1960年代末期に主に日本で売れたフレンチ・ギャルのアイドル歌手。
坊主頭の中学生だった私は旭化成体育館という所でコンサートを見ました。
いくつかのヒット曲の鮮度もさほど落ちていない頃だったので、
なぜこんな田舎に来てくれるの?と疑問でしたが、この人は日本での人気に
かなり依存している人なのだと段々理解が深まってきました。
カトリーヌは「天使のらくがき」のデビューヒットに次ぐ2作目で
ポール・モーリアの手によるワルツです。特にサビの部分が好きでした。
「あなたがブランコをこぎ、ブロンドがなびくと…」そう日本語版もすぐ出してくれてました。


 

VOL.033 * 2004/07/13


オンザロード・アゲイン」 ウィリー・ネルソン

1980年、米国のロードムービー「ハニーサックルローズ」の
挿入歌としてウィリー・ネルソンが作り、アカデミー歌曲賞を受賞した名曲。
2000年になって間もない頃、私は或る日曜日にショッピングセンターで仕事を
していました。催事場での食品販売も一息ついた時分に隣のイベントスペース
から突然カントリーミュージックの生演奏が始まりました。曲はオンザロード・アゲイン。
阿蘇の年中行事「カントリー・ゴールド」で有名なチャーリー・永谷とキャノンボール
が本日のゲストだったのです。仕事モードの身体に不意打ちをくらって、
頭の中が踊りだしました。can't wait to get on the road again♪


 

VOL.032 * 2004/07/12


「心 の 音」 あべ静江

悲しみのジェットプレーンとシチュエーションは少し違いますが、
飛行機で旅立つ男を車で見送る女性の歌が日本では目立つ気がします。
私が知っているだけでも表題曲のほか、伊東ゆかり広瀬香美で同工異曲。
あべ静江は東海地区の人気DJにして「コーヒーショップ」などフォーク系の
楽曲の多いアイドル歌手でした。心の音を含むアルバム「TARGET」は
1976年リリースで財津和夫によるナンバーを大幅に取り入れた新局面を
示す力作でした。「あなたを乗せた飛行機がいま、空を切って行きました…。」


 

VOL.031 * 2004/07/11


「悲しみのジェットプレーン」 ピーター、ポール&マリー

ジョン・デンバーの作ったこの曲はPP&Mによって一躍世界中に広まりました。
9・11直後に米国で放送自粛曲リストに入りましたが決して飛行機事故や
テロを扱った訳ではありません。徴兵制の在った当時の米国で入隊の朝に
恋人と別れるシーンを淡々と表現しています。戦争を示す単語は含まれない
ために、単に飛行機で旅立つ別れを歌っただけという説もありますが、
Don't know when I'll be back again.など歌詞の端々に有無を言わさぬ
強大な権力の存在が暗示されていると思います。まあ、
単身赴任に泣く泣く出発する企業戦士に当てはめても勝手ですけど。


「パフ」PPMシングル盤画像
「パフ」PPM シングル盤 東芝・ワーナー
 

VOL.030 * 2004/07/10


「まぼろしの翼とともに」 五つの赤い風船

1944年生まれの西岡たかしに55年生まれの私が、高校時代に出会い、
1年後に初めて行ったコンサートが五つの赤い風船解散コンサートでした。
このグループの場合とくに、リリカルな楽曲と直截的に反戦を唱える歌が
違和感なく自然に同居していました。ついこの間まで街角で傷痍軍人を
見かけたり、少年マガジンの表紙がゼロ戦だったり…。それが70年を境に
徐々に別の風も吹いてきた。一口に反戦といっても「太平洋戦争」の反省
だけでなくベトナム戦争への批判も加わる転換の時代でした。
表題曲は前者の到達点の一つで学徒動員についてせつなく歌い上げています。


五つの赤い風船みおさめコンサートのチケット画像


 

VOL.029 * 2004/07/09


「ジャニスの祈り」 ジャニス・ジョプリン

1971年の今頃だったでしょうかCBSソニーから名盤「PEARL」がリリース、
シングルカットのドーナツ盤でジャニスの祈り(MoveOver)をまず聴きました。
前の年に慌しくこの世を駆け抜けてしまった彼女を遺作で初めて知った
高校生の私です。B面はクリス・クリストファーソンの曲を彼女が完全に自分の
ものにした「ミー・アンド・ボギーマギー」で、歌詞を訳して解ったふうになっていたりしました。
程無くして友達から借りてアルバム全曲を聴き、彼女が率いるバンド全体の
ドライブ感に圧倒されることになります。今思っても70年代のロックミュージック、
特に日本のそれに与えた影響は計り知れません。


VOL.028 * 2004/07/08


性と文化の革命」 岡林信康

マスメディアの懐かしのフォークソング特集ではまず紹介されませんが、
岡林信康のLP「見るまえに跳べ」やそれに続く神田共立講堂のライブ盤は
70年代初期のえぐ味を持ったアングラフォーク代表としての歴史的価値があります。
表題曲は当時流行のウィルヘルム・ライヒの著作から来ていますが、
小市民の生活習慣と社会構造の関係を戯画化しながら
メロディアスなロックを形作った私好みの曲がこの他にも数多く並んでいます。
そしてバックのギター・大瀧詠一鈴木茂、ベース・細野晴臣、ドラム・松本隆
ザ・バンドのようなはっぴいえんどの存在感がなんともイイ味なのです。



「愛する人へ」岡林信康 シングル盤画像
「愛する人へ」岡林信康 シングル盤URC

「ミーツザリズムセクション」LPジャケット
 

VOL.027 * 2004/07/07


「スターアイズ」 アート・ペッパー

ウエストコーストジャズの名門レーベル、コンテーポラリーの代表作
「アート・ペッパー ミーツ・ザ・リズムセクション」に含まれています。
チャーリー・パーカー以来多くのアルトサックス吹きに好まれてきた曲ですが
曲名は辞書に載っていない言葉です。まさか少女マンガ的キラキラ瞳
の意味ではないでしょうが、Starのつく他の曲に較べるとロマンチック要素
よりもテンポの優る曲調です。アルバム名のザ・リズムセクションとは、
当時のマイルス・デイビスクインテットの全米最強リズム隊のことで、
偶然実現した西海岸の若手とのセッションがジャズ史に残るものとなりました。


 

VOL.026 * 2004/07/06


「義  務」 泉谷しげる

選挙が近づいてきましたが、泉谷しげるのデビューアルバムの一曲
岡本おさみ作詞の「義務」を思い起こしております。
「今日だけは人間らしくいたいから、デモの列で歩いてくるよ陽気にね」
こんな出だしの曲は、スリーフィンガーの循環コードにのって
淡々とすすみます。選挙よりさらに積極的なデモ参加を市民の義務と、
女房に心配されながらも出かけていく70年代初期の日常がありました。
この曲や、フィナーレのシングアウト「人生を超えて」などに
30年の経過で変わったものと変わらないものを感じます。


 

VOL.025 * 2004/07/05


「エクリプソ」 トミー・フラナガン

高校2年の7月だったと思いますが修学旅行で東京の輸入レコード屋さんに行き、
バーゲンのジャズアルバムを2枚買いました。それが、プレステッジレーベルの
オーバーシーズトミー・フラナガン、「クエストマル・ウオルドロン+エリック・ドルフィー
偶然ではありますが今思ってもなかなか味のあるチョイスではあります。
エクリプソはフラナガンのオリジナルで、たぶん日蝕とカリプソをかけた題名でしょう。
エルヴィン・ジョーンズの軽快なブラッシングに乗って、ピアノが踊ります。
初心者の高校生をグッとジャズに近づける強力な一枚でした。



T.フラナガン「OVERSEAS」ジャケット
 

VOL.024 * 2004/07/04


想い出の赤いヤッケ」 高石ともや

1966年に新潟県新赤倉スキー場でアルバイトをしていた高石が
ロッジの主人から教わったことから世に出ることになった名曲。
私は高校時代に小沢昭一がホストのNHK番組「この人この趣味」の
フォークソングを取り上げた内容の中で聴いたと記憶しています。
しばらくはこの曲に取りつかれ、クラスキャンプの時に皆の前で
1フレーズ口うつしの「歌唱指導」までする凝りようでした。
しばらくは歌集などでも作者不詳となっていましたが、ザ・ナターシャセブン時代
になって当時慶応大山岳部の菊地・三沢両氏が作者と判明しました。


 

VOL.023 * 2004/07/03


云い出しかねて」 鈴木勲

原題 I Can't Get Started 、ヴァーノン・デュークアイラ・ガーシュインの名曲。
1973年スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞受賞作にして、大ヒットLP
「ブロー・アップ」(スリー・ブラインド・マイス レコード)に収録。
コントラバスが小唄をうたう!そんな衝撃と感動といえばちと大げさか。
関西TV競馬中継のCM(マドラスの靴だったか)に使われていたのを覚えています。
鈴木は翌年も同レーベルから「ブルー・シティ」という名作をリリース。
チェロの弓弾きとハミングのユニゾンが印象的なタイトル曲は、
若いジャズファンで知らない人がいたら探してでもいちど聴いてほしい。



鈴木勲「BLOW UP」ジャケット

鈴木勲「BLUE CITY」ジャケット
 

VOL.022 * 2004/07/02


「初恋の人に似ている」 トワエモア

トワエモアは1970年頃の東芝エクスプレスレーベルを代表するフォークデュオ。
グループ名は英語で言えばYou and Me 、そういえば「ユーアンドミー」
という高崎一郎が作ってジョニー・ティロットソンが歌った曲もありました。
「ある日突然」「空よ」などの代表曲に較べると第二列目の曲かも知れませんが、
私は好きです。ハイティーンの恋心に起きたひとつのエピソードを
北山修が詞に書き、加藤和彦が優しい曲をつけています。
同時代の男女デュオのヒデとロザンナが公然の恋人同士であったのに対し、
こちらは言い出しかねている初心なカップルのイメージを持っていました。


「或る日突然」トワエモア シングル盤画像
「或る日突然」トワエモア シングル盤

「You & Me」 J・ティロットソン シングル盤
 

VOL.021 * 2004/07/01


ア・フールサッチアズアイ」 ハンク・スノウ

カントリーミュージックの名曲。1952年にハンク・スノウでヒット。
そして何より1959年のエルビス・プレスリーでのトップヒット、
さらにボブ・ディランもカバーしたというスタンダードですが
日本での演奏頻度は今ひとつという感もあります。
手許の楽譜集では「馬鹿な私」という邦題が記されてはいますが
ググッてもヒットしなかったので日本語表記では5単語による
カタカナ表記が正式なのでしょう。私もそうでしたが何度か聴いた後
ある日突然、泣けてくるほど良い歌だと気付くような曲かも知れません。


 

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