コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

'04-6月分  '04-7月分  '04-8月分  '04-9月分   '04-10月分
'04-11月分 '04-12月分   '05-1月分   '05-2月分   '05-3月分   '05-4月分

オヤジのうた曲名リスト

オヤジのうた御愛読ありがとうございます。お陰さまで365回、拙い筆ではありますが毎日更新することができました。
今後は曲名以外もタイトルに据えたりしながら、不定期でオジサンのメッセージをお届けしたいと思っております。

VOL.365 * 2005/06/11


「インターナショナル」

最近は自戒しているのですが、酒の席などでなにかのはずみにこの歌を
大声で歌ったのです。学園闘争の残り火の世代として70年代のはじめ、
何度か街頭デモにまぜてもらってました。動力車労働組合の兄ちゃん達のナッパ服に
しがみついてジグザグデモをした後、道路一杯に手を拡げて並ぶフランスデモに
変わったときに皆でこれを合唱するのです。1871年パリコミューンの時にフランスの
素人作曲家が作曲したらしいのですが、サビでBフラットからFに転調するような感じが
不思議に美しいけど音程が取り難くもあります。それだけに一度覚えると愛着を感じます。
でも軍歌を懐かしがる老人の様に見られそうなので、人前では歌わないことにします。
名前は忘れたけど中国のロックバンドのこれが、ジミヘンを思わせる演奏でスゴイ。
中国の若者にとっては「星条旗よ永遠なれ」に相当する曲なのも事実。


VOL.364 * 2005/06/10


「上を向いて歩こう」 坂本九

今年五十歳を迎える年代にとって、小学校入学の頃にこの名曲が出たわけで、
まさしく人生と共に歩いてきた一曲なのですね。当時、唱歌民謡がほとんどだった
我が家のレコード箱に、ペギー葉山「ケセラセラ」に次いで加わったポップスの盤が
九ちゃんのこの歌でした。ちなみにドーナツ盤の価格は300円となっています。
作曲の中村八大ジョージ川口、松本英彦、小野満と共にビッグ・フォーとして
戦後の日本ジャズ興隆期から活躍を始め、TV番組「夢であいましょう」の中で
作詞の永六輔、そして坂本九に出会うことになります。日本的ではありながらも
演歌的ではないメロディはやがて全米チャートのトップへ躍り出ました。




坂本九「上を向いて歩こう」シングル盤



VOL.363 * 2005/06/09


「ジェリコの戦い」 コールマン・ホーキンス

この盤も昔ジャズ喫茶でよく聴きました。ただ今回調べてみた様子では、この1962年の
ヴィレッジ・ゲイトのライブ盤は日本で特に人気の出た一枚だったようです。
ところでジェリコの戦いと聞いて、いつ頃のどこでの話しだと思いますか?
私はまず南北戦争とか西部開拓時代に考えが行ってしまったのですが、検索してみて
考え違いが判明しました。時代は西暦前1400年代、場所はイスラエル。エルサレムの
北東20キロくらいにあるエリコにおいてモーゼの後継者ヨシュアが神の加護を得て
約束の地へ進む時の出来事でなのですね。七人の祭司が雄羊の角笛を吹いて進むさまは、
私の中では浅川マキの「ロンサムロード」のバックで鳴る南里文雄のラッパとも通じます。

 

VOL.362 * 2005/06/07


「梅雨どきのブルース」 友部正人

友部正人の初めてのアルバムを買おうと思ったきっかけは何だったんだろうか。
レコード屋で目を引いたURCのLP紙ジャケットかもしれません。
真崎守の作でしょうか、センターラインの上を水平飛行する金魚のイラストに
劇画のタイトルのような字で「大阪へやって来た」。高校生の私好みでした。
もちろん吉見佑子などのラジオ番組での紹介も、購入動機の半分でしょうけど。
♪あんまり いい人たちに 囲まれて 暮らしてて 僕はみずびたし うんざりだね…
前にも言ったと思いますがこの人の詞には、ひきつけられるように感情移入
してしまうフレーズがあちこちに散りばめられていて参ってしまうのです。

 

VOL.361 * 2005/06/06


「夢からさめて」 マックス・ローチ

表題曲 You stepped out of a dream は、「ペーガンラブソング」「テンプテーション」で
有名なネシオ・ハーブ・ブラウンが1940年のレビュー映画「美人劇場」のために書いたもの。
コード進行が面白いためかジャズマンが好んで取り上げるスタンダードになりました。
ギターのタル・ファーロウがドラムレストリオで演じた早い演奏や、ピアノの
マッコイ・タイナーがストリングスを交えて組曲風にした演奏、歌モノでは
ナット・キング・コールのしっとりとしたものなど、それぞれ印象深いですね。
他にもスタン・ゲッツ、ソニー・ロリンズ、ジョージ・シアリング…きりが無い。
私が先ず思い浮かべるとしたらマックス・ローチとブッカー・リトルの超スローな演奏です。




マックス・ローチ「DEEDS NOT WORDS」ジャケット

N.K.コール「トゥー・イン・ラヴ」ジャケット



VOL.360 * 2005/06/05


「ある雨の日の情景」 よしだたくろう

あらためてタイトルをじっと見ると、少々照れくさいですね。でも1971年なんです。
派手目のドレスシャツにベルボトムのカラージーンズ、靴は厚底、そんな
「やんぐ」がウヨウヨいた時代ですのでご理解ください。作詞の伊庭啓子さんや
バックのミニバンドは吉田の率いた広島フォーク村の初代メンバーです。
小品ですが今振り返ってみてもなかなか良くできた造りの曲だったですね。
メインボーカルとバックコーラスが単なる後追いや掛け合いでなく、
付いたり離れたりしながら表現を補い合うことにより、叙情的な雰囲気を出しています。
雨のバス停で乗客がバスから降りるただそれだけの1コマが、色んな想いで膨らみます。

 

VOL.359 * 2005/06/04


「恋はリズムにのせて」 アンディ・ウィリアムス

1967年の六月はこの曲が日本中で流れていました。Music To Watch Girls By
なにしろリズムに乗って語呂の良いフレーズが連続して出てくるのです。
♪ The boys watch the girls while the girls watch the boys who watch the girls go by
内容的には男の子と女の子が見つめあい、語り合い、いつしか音楽になるという、
他愛の無いものですが、言葉の響きのよさとメロディの明るさで聴く者の気分を動かします。
調べてみるとトニー・ベローナ作詞、シド・ラミン作曲ということですが、他は不明です。
ラップ・ミュージックをおやりの日本の若いモンにも、時にはこんな曲を聴いて
インスパイアされるリズムを探してごらんよと、おせっかいながら伝えたい気もします。

 

VOL.358 * 2005/06/03


「雨あがりのサンバ」 森山良子

中学時代のとある日、近所のスーパーの店内にいた時ふとBGMに耳が止まりました。
よく聴くと森山良子の歌が連続して流れているのです。1000平米そこそこの店
だったのですが、当時はちゃんとレコード売場があってビートルズのシングルのうち
何枚かは、考えてみればそこで買っていました。たぶんそのレコード売り場の店員が
入荷したばかりのLPレコードをBGMにしてくれていたんでしょう。記憶を紐解くと
まず私の注意を引いたのが「夜明けの子守唄」じゃなかったかと思います。そして表題曲。
短いヴァースに続いてサンバというよりしゃれたボサノバのリズムで盛り上がり、コーラスの
♪あなたに会いに行きたいのよ… のあたりで少年は密かに鳥肌を立てていたのでした。

 

VOL.357 * 2005/06/02


「イフ・ユー・ゴーアウェイ」 レイ・ブライアント

1969年六月初めの日本のポップチャートでトップにあったのはスコット・ウォーカー
歌う表題曲「行かないで」でした。シャンソンを英訳してしっとりと歌い上げた表現は
日本でのウォーカーブラザーズの人気も手伝って大ヒットになりました。
で、私もそのとき初めてこの曲を知ったのですが、のちにレイ・ブライアントが
いち早く取り上げてジャズの素材にした演奏に遅ればせながら出会うことになります。
66年に自らのピアノトリオにアート・ファーマーらを迎えて吹き込んだアルバム名は
「スロー・フレート」。貨物船をスロー・ボートと呼ぶ、その列車版とでもいう言葉のようです。
ジャケット写真も、もちろん音もゴキゲン。独りジャズ喫茶で喜んでいました。

 

VOL.356 * 2005/06/01


「我が心のジョージア」 戸谷重子

あまりに有名な表題曲、私も意識せずにレイ・チャールズなどで聞いてはきました。
しかしこの曲の本当の良さを教えてくれたのは戸谷重子のヴォーカルなのです。
実はこの項を書くために彼女のことを検索してみたのですが不思議な程出てきません。
なにかの事情があってかTBMレーベルのレコードがCD化されていないせいでしょうか。
手許にある1982年刊「日本のジャズ」(毎日新聞社)の中のミュージシャン600の人名録
を引いてみても、土岐英史-徳山陽-外山恵子と並んでいるだけです。
表題曲はTBMレコードのカタログ番号11番、LP名「マイファニーヴァレンタイン」所収。*
マーサ三宅流とでも言える国内シンガーならではの懐かしい響きの声です。
*本盤は2006年11月にCD限定版が発売されました。とにかくおすすめです。

 

VOL.355 * 2005/05/31


「縁は異なもの」 ダイナ・ワシントン

もともとはメキシコが起源のラテンナンバーで、スタンリー・アダムズが英語詞
を作ったときタイトルも What a Difference a Day Made となりました。もっとも
ダイナの歌いだしは Day Makes と聴こえますがどちらも有りということらしいです。
たった一日でこんなにも輝いているという恋の喜びを、なんとも粋な邦題で
表現した命名者にも敬意を表したいところ。日本では阿川泰子さんも得意にしています。
ダイナ・ワシントンは1950年代の良きアメリカを体現するかのように、ゴスペル、R&B、
ブルーズ、ジャズの各要素を併せ持った素晴らしいシンガーでした。このアルバムの
歌声を聴くと彼女の生きていた時代のアメリカを訪ねてみたい、そんな気がします。

 

VOL.354 * 2005/05/30


「タイスの瞑想曲」 千住真理子

前々日に取り上げた「あなたが欲しい」と並んで「バイオリンは友だち」の番組中で
印象的だった曲がタイスの瞑想曲です。この曲を弾きたいがために
バイオリンを学び始めた人があまた居るとの話に、ふーんと聞いていたのですが
いざ彼女の演奏(ピアノ:藤井一興)に接してみると、さもありなんと納得したのです。
いくつかの山場を経て、しだいに盛り上がり最高潮がきわだつ造りの曲ですから
演奏者が気持ちをこめてリズムを揺らすことにより心地よい感動がもたらされます。
19世紀末のフランスの作曲家マスネが「タイス」というオペラの間奏曲として書いたもの。
この番組以降、私のお気に入りクラシックの一曲として寝る前などに良く聴きます。

 

VOL.353 * 2005/05/29


「ケンタッキーの青い月」 アル・クーパー

今日はダービーDAY。ただ私は日本ダービーにあまり良い思い出がないのです。
私が馬券を買っていた1970年代はフルゲート28頭という今では考えられない
出走頭数のレースだったため、スタンド前のゲートから1コーナーにむけての
わずかな距離での位置どり争いが激しく、多分に運に左右されがちでした。
印象に残っているのは、強い逃げ馬だったカブラヤオーや、同郷の大崎昭一騎手が
うまく逃がしたカツトップエースぐらいでしょうか。今は程よい18頭におさえられ
本当に強い馬はどこからでもキチンと勝利できると信じております。
表題曲はアメリカのダービー開催地にちなんだカントリーの名曲を70年代のサウンドで。

 

VOL.352 * 2005/05/28


「あなたが欲しい」 中西俊博

1998年の初夏だったと思います。出張のビジネスホテルで早朝にふと目覚め
時計代わりにTVをつけてあちこちチャンネルを変えていたら突然リアルな前衛ジャズの
音色が飛び込んできました。よく見るとピアノは山下洋輔、なんでこんなところでと思ったら
NHK教育TV制作「趣味悠々」の一シリーズ「山下洋輔の ジャズの掟」をBSで再放送
しているのでした。味をしめて機会のある毎に早起きしてみていたらやがてシリーズが
変わって、今度は「バイオリンは友だち」という千住真理子と中西俊博がレッスンしてくれる
新講座になりました。真理子さんのクラシックと中西のポップスを交互に取り上げる内容で
楽しめましたが、一番印象に残っているのがエリック・サティの表題曲”Je Te Veux”です。

 

VOL.351 * 2005/05/27


「ティル・ぜア・ウォズ・ユー」 ビートルズ

熊本市内中心部からほど近い、住宅や事業所の立ち並ぶエリアの一角に
ガラス製の温室の形で農地が残っており、主に切花用の花卉栽培が行われています。
通りがかりに覗くと、この季節には様々な色のバラがつぼみやら開きかけたのやら
それこそ「百万本」あるかと思うほど並んでいます。ただ、歩きながら浮かんだ歌は
加藤登紀子ではなく、♪Then there was music, and wonderful Roses they tell me....
若き日のポール・マッカートニーの張りのある歌声です。1963年の彼らのセカンドアルバム
の中で”箸休め”的にはさまれたカヴァー曲なのですが、アコースティックギターの
アレンジも素晴らしく、並みのロックバンドに在り得ないセンスを発揮しています。



VOL.350 * 2005/05/26
 


「恋したら」 グリーメン

♪こーいしたら 星のふーる夜に 肩よせなーがら 歩くの… この曲も
三十年前以来ほとんど聞く機会がないですね。その割には歌詞もメロディも
しっかりと頭の中には残っています。ネット検索という便利なものがなければ
「あれは何だったんだ」と思う、幻の一曲になるところですが調べてみると結構分りました。
作詞作曲は、北山修加藤和彦のコンビ。1970年のキャニオンレコードからの発売、
多分ニッポン放送の「フォークビレッジ」「ビバヤング」などでよく流れたのでしょう。
グリーメンは男性三人組、肩組んで一緒に揺れながら歌ったという話もありますが
幸いにも私は見ていません。♪そーれぇからどうするの 私は目をつぶるのね…

 

VOL.349 * 2005/05/25


「ビギンザビギン」 フリオ・イグレシアス

Beguine を Begin しましょう、という語呂のよさで有名なスタンダードですね。
ビギンはダンスのリズムの一種で、仏領西インド諸島の民族舞踊が起源。
細かく刻むようなリズムに合わせて主に上体を揺り動かす踊り方のようです。
1935年にコール・ポーターが旅先で出会った音楽を自分流に消化して「ジュビリー」
というミュージカルの中で使用しました。ザヴィア・クガートアーティ・ショウの楽団で
ヒットして、スタンダードになりましたが、繰り返しの少ない多層的な構造は
歌手にとっても魅力のある曲で、多くのシンガーによって歌われてきました。
フリオが華やかな歌声で日本チャートのトップを取ったのは1982年の今ごろです。

 

VOL.348 * 2005/05/24


「ラヴァーマン」 横内章次カルテット

ビリー・ホリデイの熱唱で名高い「ラヴァー・マン」は第二次大戦の最中に
出来た、せつない愛のバラードです。のちにチャーリー・パーカー
アルトサックスでこのバラードを歌うことに取り組み、あまりに感情をこめたため
録音終了後に倒れてしまったという逸話もあります。ところで今回取り上げたかったのは
1976年にスリーブラインドマイス・レコードから出た
アルバム”Blonde on the Rocs”*に
収められた横内章次カルテットの演奏なのですが、現在入手困難のようですね。
小西徹とのギター同志のからみあい、そして原田政長のベースまでもがやがて
渾然一体になって甘いブルースを奏でる、この雰囲気とても良かったのですが。
*本盤は2006年12月にソニーミュージックダイレクトよりCD版が発売されました。

 

VOL.347 * 2005/05/23


「対自核」 ユーライア・ヒープ

一見して異様に物騒なタイトルと感じられる方も多いでしょう。この曲は1972年の
五月から六月にかけて日本のベストテンにもチャートインしているのです。
原題 Look At Yourself が何でこんな邦題になるんじゃ、と今でこそ思いますが
この時代にピンクフロイドの Atom Heart Mother が「原子心母」の邦題で大ヒットした
先例が在ったためにこうなったのでしょう。このグループはピンクフロイドと
ディープパープルの間にあるような感じのプログレッシブロックなのですが
大音量で聴くととにかく気持ちの良いサウンドでした。自分が何を必要としているのか、
何におびえているのか「核」の部分と向き合って見つめてごらん、邦題通りの歌なのです。

 

VOL.346 * 2005/05/22


「花・太陽・雨」 ピッグ

モップスの項でも書いたとおり、いわゆるグループサウンズの全盛期とは
正面からシンクロしなかったのですが、深夜放送を聴きだした頃リリースされた「残党」
の作品がいくつか印象に残っています。1971年の表題曲は”PYG”という人気GS
ピックアップメンバーによるユニットのヒット曲です。スパイダーズ井上堯之の作曲と
タイガース、沢田研二のヴォーカルが秀逸でした。重苦しげなマイナーのリフレーンに
はさまれて、サビの部分だけが雲間から差す陽の光のようにさわやかに
♪この白い光 あたたかい風と ささやかな愛に つつまれた明日を迎えに…
リズムの変化もけっこう複雑で、今想いかえしても彼らの音楽的意気込みを強く感じます。

 

VOL.345 * 2005/05/21


「ノー・リグレッツ」 フィービ・スノウ

若さの絶頂に在ったころに火照った心身を鎮めるのに、よく用いたアルバムとして
マイケル・フランクスの「スリーピング・ジプシー」はすでに紹介しました。それと並んで
よく聴いたのが表題曲を含むフィービ・スノウの「Second Childhood 」でした。
夜中に小さな音で聴いても彼女の暖かく、かつ気だるい歌声が落ち着きと安楽を
もたらしてくれる気がしました。どんな一日であったにせよ、その日の終わりには
一日が何かしらの意味があったことに納得して、ノー・リグレッツとつぶやいて
眠りに落ちる。時には心配が捨てきれないことも有るかもしれませんが
フィービ・スノウの独特の声で言われると不思議と、それでいいかという気になれます。

 

VOL.344 * 2005/05/20


「南風 -SOUTH WIND- 」 太田裕美

1980年、網倉一也作詞作曲のスマッシュヒット。網倉氏は、若さに秘められた
哀愁を描くのが得意で柏原芳恵岩崎良美などの楽曲も手がけています。
表題曲は清涼飲料のCFとのタイアップで「キミは光のオレンジギャル」の一節で
ピンと来る方も多いでしょう。太田裕美と夏のオレンジの組み合わせといえば、
アルバム「Feelin' Summer」で自身が作詞した「サマータイムキラー」のサビの部分、
♪そんなとき空に燃える太陽のような マンダリン・オレンジを 絞って潤せばいいさ
こんなフレーズがなぜか強く印象に残っています。新緑の光をあびて輝く
”オレンジギャル”の産毛に爽やかさを感じるオジサンの想い出の一こま。

 

VOL.343 * 2005/05/19


「雨の訪問者」 フランシス・レイOhc.

1970年の日本のポップスチャートは早くて長い梅雨に覆われました。というのも、
すでに四月にB・J・トーマス「雨にぬれても」、ホセ・フェリシアーノ「雨のささやき」
二曲が相次いでトップを競い、五月になると映画音楽の「雨の訪問者」が代わって
トップ10入りし、七月あたまの梅雨明けに至るまでチャートに居座ったのです。
映画はルネ・クレマン監督、チャールズ・ブロンソン主演のサスペンスで同時期に
ヒットしました。タイトル音楽はいかにもフランスのミステリー映画にふさわしい
何だか懐かしいようだけど恐ろしげでもある旋律なのですが、チャート入りした
「ワルツ」は華やかな舞踏会の最高潮を思わせる非常に美しい響きです。

 

VOL.342 * 2005/05/18


「若葉のささやき」 天地真理

山上路夫作詞、森田公一作曲による1973年”白雪姫”六枚目のシングル。
「水色の恋」プラス若葉のイメージをマイナーコードで表現するとどうなるか、
そんな実験的意図さえ感じられる異色作を彼女はさらりと歌ってしまっています。
♪愛はよろこび それとも涙 誰も知らないことなのね 若葉が風とささやく街を…
天地真理ゴールデンベストの曲たちに五曲づつ整列してもらうとしたら、
第二列目になるとは思うのですが、この季節オープンしたてのビアガーデンなどで
さりげなく流れるとしたら、感激するオジサンが結構居ることは保証します。

 

VOL.341 * 2005/05/17


「降っても晴れても」 ジョー・スタッフォード

1946年ハロルド・アーレン作曲のミュージカル「セントルイスの女」からのスタンダード。
Come Rain or Come Shine の原題にもありますが全編語呂の良い対比がちりばめられ、
いかにもミュージカルらしい楽しげな歌になっています。作詞はみずからも
ベニー・グッドマン楽団などの歌手をつとめたジョニー・マーサーによるもの。
ジャズの素材としてウイントン・ケリーウエス・モンゴメリーによる軽快な
インプロビゼイションを触発したり、歌の表現の場合もペギー・リーアン・バートンなど
特に女性シンガーによってそれぞれの持ち味のにじみ出た名唱が残っています。
私のお気に入りはジョー・スタッフォードの優しくからむような質感のあるヴォーカルです。



VOL.340 * 2005/05/16
 


「粋なうわさ」 ヒデとロザンナ

1969年五月のヒデとロザンナのヒットを久しぶりに聴いてみました。
筒美京平の曲のつくりがなんとも粋(いき)ですね。メジャーセブンスから始まる
出だしの四小節を女性男性交互に歌って、サビの頭のEマイナーが転調の効果をだし、
♪それからそれから ひとつの傘で 雨のなかー 、ユニゾンだけどしっとりしてます。
最後に「粋なうわさでー」と交互に語ったあと、「むすばれた恋はー」で音程が離れて
出門英さんだけが「ふしーぎなー」の部分をEフラットの音程で張り上げる、
なんとも気持ちイイですね。2分半の小品ですが心が気持ちよく温まりました。

 

 

「粋なうわさ」シングル盤ジャケット
「粋なうわさ」シングル盤ジャケット

 

VOL.339 * 2005/05/15


「アントニオの歌」 マイケル・フランクス

1977年の新緑の季節は思えば、私の若さの絶頂でもありました。
22歳の肉体も頭脳も溌剌と働き、判断力さえも研ぎ澄まされていたのです。
なにしろ桜花賞からオークスまでGTレースの馬券を連続して取ったりもしています。
もっとも、当時としては珍しく関西馬の調子が良く、福永祐一の父洋一の大活躍のお陰
でもありました。武豊のお父さんもダンディで格好よかったのですが福永洋一の騎乗は
今で言うならマリナーズのイチローと通じるような群を抜いた存在でした。
ところでボサノバの巨匠ジョビンに捧げた表題曲を含むアルバム「スリーピングジプシー」は
当時の私が火照った気分と体を静めるときに愛聴した、優しい肌触りの歌声です

 

VOL.338 * 2005/05/14


「誰のために」 赤い鳥

 赤い鳥が東芝エクスプレスレーベルから初めて出したシングル、70年万博の年です。
山上路夫作詞、村井邦彦作曲は御存知、「翼をください」と同じコンビ。
詞も曲も構成は単純なのですが、どちらも非常に味わい深い珠玉の一作です。
♪わたしは誰のために生まれてきたのか あなたにめぐり会って答えを知ったの
これまで独り生きる意味をわたしは探してた あなたを愛するため生まれてきたのよ。
これだけの簡潔な詞をA-A’-B-A’形式の清楚なメロディにのせています。
赤い鳥が世に出たきっかけの「竹田の子守唄」にも通じるゆったりとしたテンポ、
なおかつしゃれた響きの「忘れていた朝」を予告するようなハーモニーです。

 

VOL.337 * 2005/05/13


「デイドリーム・ビリーバー」 モンキーズ

 同じモンキーズのヒット曲には「アイム・ア・ビリーバー」もあってややこしいのですが
こちらの方がアン・マレーから忌野清志郎までカバーの数も断然多いです。
アメリカのフォーク系ソングライター、ジョン・ステュワートの作詞作曲です。
テレビショウを中心に計画的に売り出された感の強いグループでしたが、
楽曲に恵まれ芝居もできたので、今考えてみると結構楽しませてくれてました。
この曲はメンバーの中で可愛さで女の子に大人気だったデイビー・ジョーンズの歌が
印象的です。サビの部分が♪チィーァップ シィーピ ジー (Cheer up sleepy Jean) と
韻を踏みながら声を張り上げるのでなおさらいじらしかったのですね。

 

VOL.336 * 2005/05/12


「あざやかな場面」 岩崎宏美

♪目をとじてみればいくつも あざやかな場面が 懐かしい歌に包まれ 色とりどり蘇る
1978年の今ごろ、緑の若葉が木々に拡がるのにあわせて私の周りで響いたメロディ。
透明感のある生ギターのイントロから、しだいによみがえる想い出を表わすように
積み重なっていく音たち。シンプルで美しいメロディのワルツがストレートに伸びる声で
あざやかに表現されます。ジャケット写真は自転車でコケながら笑う宏美ちゃん、
若さの頂点にあるものだけの許される衒いの無い笑顔でした。
前年秋に出た「思秋期」と同じく、阿久悠作詞、三木たかし作曲によるものです。

 

VOL.335 * 2005/05/11


「イットネバーエンタードマイマインド」 シンガーズアンリミテド

おなじみロレンツ=ハート作でミュージカルからスタンダードになったナンバーですが、
カタカナで書くと冗長なイメージもありますね。ここはひとつ邦題を考えましょうか…。
「気にも留めずに」。わるくないでしょう、でもオスカー・ピーターソントリオをバックに
シンガーズアンリミテドのしゃれたコーラスで初めてこの曲に接した時のイメージには
やっぱり合いません。アルファベットの字面で Entered My Mind しているんですね。
16歳だった私にとってこのアルバムは冒頭の「セサミストリート」でまず引きつけられ、
次の表題曲で一転大人の世界の物語が展開するなんとも魅力的な構成でした。

 

VOL.334 * 2005/05/10


淋しい気持ちで」 シ  バ

ライトニン・ホプキンス流の生ギターブルースの一人者シバは、永島慎二氏のもとで
漫画家を志したこともある異彩の人でした。1972年の春にURCから出たアルバム
「青い空の日」のジャケットデザインは彼自身によるもので、アメリカンフォークの
伝統的なスタイルを踏まえつつ彼の個性がしっかりとにじみ出た傑作です。
この盤の冒頭の表題曲は、高田渡、加川良などもよく歌ったもので、
単純なつくりながら表現のしようによっては色んな風に膨らませることの出来る
8小節のブルースです。シバの演奏はイントロのマウス・ハープから泣かせます。

 

VOL.333 * 2005/05/09


「ママ・トールド・ミー」 スリー・ドッグ・ナイト

333回目の数字を見て浮かんだ三人のリードヴォーカルによるサザンロックのバンド。
彼らの最初の全米トップヒットは1970年の表題曲、アメリカ映画音楽を多数手がけた
作曲家ライオネル・ニューマンの息子ランディの作です。例えるならストーンズ
「アイウォナ・ビー・ユア・マン」を想わせるような小気味の良い小品ロックです。
歌詞の内容を拙い英語力で推察するに、当時アメリカ中産階級に蔓延していた
ドラッグパーティでの後味悪い経験をもとに That ain’t the way to have fun, son と
言い捨てるような響きが「ママの語った言葉」として表現されているようです。

 

VOL.332 * 2005/05/08


「ある日の午後」 森山良子

五月のとある日曜日、関西の私大文学部1回生のA君は同郷の短大生の
女友達と手紙で約束して待ち合わせし、岡崎の動物園へ向かいます。
キリンやダチョウと睨めっこしてはしゃぐ彼女と楽しく時間を過ごし、
園をあとにした二人はぶらぶら歩いていつしか昼下がりの南禅寺境内に居ました。
にわか仕込みの知識で、枯山水や水路閣のアーチさらに湯豆腐の解説までするA君。
♪愛していることに心は一杯でも なぜか二人は ルルル古いお寺の謂れなんか話すばかり
安井かずみ作詞による1974年の表題曲は、その頃実際に居た優柔不断なカップル達の
テーマソングともいえるものです。♪都忘れの花がいとしく 胸うつ午後でした。

 

VOL.331 * 2005/05/07


「バイバイブラックバード」 マイルス・デイヴィス

1926年モート・ディクソンレイ・ヘンダーソンの作。当初から映画や舞台で
よく使われたらしいですが、ジャズの世界でスタンダードとなるについては
やはりマイルスの功績が大だったでしょう。ブラックバード(くろどり)は
ヨーロッパではすずめ並みのポピュラーな鳥だという話もあります。
それで思い浮かぶのはマザーグースの中の「6ペンスの歌をうたおう」。
庭で洗濯物を干す女中の鼻をくろどりが摘み取る話は、意味もなく
ふりかかる不幸を意味するのでしょうか。つらいことの多かった町から
旅立つことのできる、そんな夜に口ずさむようにマイルスのペットが歌います。

 

VOL.330 * 2005/05/06


「星影の小径」 ちあきなおみ

♪静かに静かに 手をとり手をとり あなたの囁きは アカシアの 香りよ
1950年の小畑実の歌は、しゃれた雰囲気ながら小品のためもあり知る人ぞ知る存在でした。
同じ作曲家、利根一郎による「星の流れに」が多くの歌手に歌い継がれたにもかかわらず。
しかし85年になってこの歌はまったく新しい解釈によってちあきなおみによって歌われ、
さらにCFのバックに流されたこともあり多くの人の心をとらえます。
♪アーイラヴュー アイラヴュー いつまでも いつまでも
実力派歌謡曲歌手による多重録音コーラスは、現実の世界を離れた
どこか遠いところで鳴る音楽のようで、なんとも気になる響きなのですよね。

 

VOL.329 * 2005/05/05


雨に消えた初恋」 カウシルズ

私が通った中学校は馬坂という名のちょっとした峠を越して行く、山を切り開いたような
場所にありました。坊主頭を黒い学帽で隠し、布の雑嚢を首から背負って通った
時代はあまり楽しかった記憶もないのですが、ポップミュージックに関して
話の合う女の子が同級にいたことは救いでした。私がラジオのチャートなどを
書き写して学校に持って行きそれを話題のいとぐちにするというような他愛の無い
ものでしたが、唯一の楽しみに近かったのです。そのせいか授業中でも
例えばカウシルズの表題曲が頭の中で鳴りつづけたりしたものです。
♪ I love the flower girl  Oh I don't know just why, she simply caught my eye.

 

VOL.328 * 2005/05/04


「君といつまでも」 ベンチャーズ

加山雄三のオリジナルと完全に切り離してベンチャーズの「君といつまでも」を聴くと
どこかエキゾチックなインストルメンタルナンバーとして楽しめます。
発表当時に小学生の耳で聞いたときは、歌詞と微妙に合わない旋律のとりかた
などに少々違和感があった記憶もあります。でも今あらためて聴きなおしてみると
彼らはシャドウズの「春がいっぱい」を意識してこの曲のアレンジをしたのかも
知れません。でもトレモロの使い方などはやっぱりベンチャーズらしいと思うし
良くも悪くも60年代そのものの音ですよね。父や母が育った時代の音として
子供の世代が不思議な懐かしさとともに愛好するような気もするのです。

 

VOL.327 * 2005/05/03


「私を待つ人がいる」 ナターシャセブン

♪いつの世もひとは 海へ山へと 旅にでかけるけど
わたしの好きな 谷間の村にゃ わたしを待つ人がいる
高石ともやとザ・ナターシャセブンのコンサートはこの陽気なブルーグラスから
始まるものでした。原題 There's Someone Waiting For Me 待った人に会える、
待ってくれる人がいる、そんな喜びやウキウキした気分が高揚するメロディです。
ケンタッキーの民謡をカーター・ファミリー(カーター氏と妻と弟の嫁の三人)が
取り上げて歌い、高石がそのスタイルを忠実に再現しつつ普遍的な訳詩によって
日本の田舎の風景にもぴったりした歌へと作り上げました。



VOL.326 * 2005/05/02
 


「レット・イット・シャイン」 オリビア・ニュートン・ジョン

1976年のヒット曲で、当時は街の銭湯のTVでもクリップを観た記憶がある程なのですが
今ではベスト盤でも手に入りにくいようですね。アルバム「Clearly Love」は、
表題曲のほかにも味のある曲が粒ぞろいで、日本盤再発を待望するところです。
「レット・イット・シャイン」の歌詞は単純で、花が咲くのに太陽が必要なように
女が輝くには注目されることが必要、誰か私を輝かせる人は居ないの?
こんな内容なのですが、オリビアの歌で聴くと単なるラブソング以上に
人間の根源的な活力の面で刺激されるような気がしたものです。
ベース・ランを効かせたカントリースタイルのアレンジが良く合っています。

 

VOL.325 * 2005/05/01


「戻っておいで・私の時間」 竹内まりや

今年は1955年生まれの人が五十歳になる年です。四十代のあいだは
なんとか三十代と同列に扱ってもらえることもあったのですが、50というのは
ちょっと節目として大きな境界だと言えなくもありません。でもまりやさんの他にも
55年生まれといえば、矢野顕子、太田裕美、アグネス・チャン、Char 、郷 ひろみ、
歌手だけ並べてみても概して五十代の老けたイメージと離れた顔が並んでると思いませんか。
従来の中年の顔でなく、今の若いモンの顔とも一線を画した、まあそれなりの
生き方をしてきたという自負に裏打ちされた年代として輝やいていただきたい思うのです。
♪手を伸ばせばそこに 私の時間がひろがる…忘れていた私の時 今COME IN TO ME



竹内まりやデビューアルバム「ビギニング」LP画像
竹内まりやデビューアルバム「ビギニング」



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